Vol.136 なぜ格差はいけないか……を伝えるには - 【経済】浜矩子のお金の正体の話 | カフェグローブ
集団狂気的エリーティズムに |
Cafeglobe(以下C) ニューヨークで昨年秋に始まった「オキュパイ」ムーブメントですが、ロンドンにも飛び火して10月から有名なセントポール大聖堂の敷地を占拠してキャンプ村ができていました。先月前を通った際はおそらく100以上のテントやテント図書館があってまだまだ頑張っていましたが、ついに強制撤去になりました。かたや、前回お話を伺いましたが銀行トップたちが巨額の報酬を得るのが当たり前になっている。この間に何か緊張した力があるように感じました。無理があるというか。
浜さん(以下H) そうですね。銀行トップたちはオキュパイの人たちと1日くらい役割を交代してみたらどうかと思いますよ。
C 前回、銀行家の人たちにはもういちど自分が世の中の役に立つ喜びを思い出してもらいたいというお話をいただきましたが、そこで湧いてきたのは、そもそもそのエグゼクティブさんたちはそんなに優秀なのかという疑問です。その人でないと経営を黒字に戻せないほどの腕力があるのか。だとしたら、そんなトップの数人次第で銀行の経営状況が変わるほど銀行はワンマン経営なのか、という素朴な疑問です。
H おっしゃるとおり、そんなにワンマンイズムで組織が動くことがあってはいけないと思います。そこにも一種の集団狂気的エリーティズム、何が力かということに対する感覚がおかしくなっていることが垣間見えているのではないでしょうか。高額の報酬で迎えられ、前任者がやったことを蹴散らして一夜にしてエンパイアを作る。こんな具合にテストステロンの分泌っぷりを競うのがガッツィー(gutsy)で、それこそがバンカー魂なのだ!と、まぁ、こういう軽佻浮薄な認識があの世界に広がっている面があるのでしょう。彼らもそれに踊らされているだけの話で。
トップ私たちの社長
C そんな人たちがクラブ的にワーッと過熱して市場を盛り上げ、ときどきダーッと失敗して大きすぎて潰せないから税金で補填して、喉元過ぎるとまた……というのはもう勘弁してくれ思います。
H リーマン・ショックで反省があり、もう少し律儀なところにソフトランディングするかと期待していましたが、懸念していたとおり元の木阿弥になっていますね。
C 何か是正策は講じられているのでしょうか。
H アメリカではリーマン・ショックの後、いわゆるボルカー・ルールを導入し、まじめ・バンキングが本業の商業銀行とリスキーなものにも手を出すカジノ・バンキングを分ける方向で動きつつあります。要は、普通銀行業務と投資銀行業務を改めて分離し直す方向で改革が一応は進もうとしているのです。しかし、実際にどこまでこの精神が貫かれていくか。まだまだ不安は残ります。ご関心のイギリスの場合、弱いのは、英国経済がものすごく金融街ザ・シティの儲けに依存しているということですね。英国政府はどうしてもシティのスポークスマンにならざるを得ない面がある。そのことと、ボルカー・ルール的な観点から金融監督を行うということとの間には、なかなか厄介な矛盾があります。メシの種となっ てくれている人々に、その手足を縛るような仕打ちは出来ない。こんな具合に悶々とするところが英国政府の情けないところ。それはそれ、これはこれで、しっかりした原理原則論を既然と掲げて欲しい。
社会的包摂性は |
C では視線を日本に戻すと、企業トップの報酬水準などはいかがでしょうか。だいぶ前にJALの社長の年収は数千万程度で世界的に見れば低いという記事を読みましたが、そうであればまだマシなのかなとは思いますが。
裁判所の費用は何ですか
H 給与や報酬の格差は、従来は欧米ほどではありませんでしたね。でも何週遅れかで、出来る人はもっともらってもいいじゃないかという成果主義に走る傾向が出てきて、ホリエモンや村上ファンドがもてはやされては消えて行きました。今はとくにその点が大きな問題になる状況ではありませんが、代わりにオリンパスや大王製紙のような閉じた世界で勝手なことをやっている姿が浮かび上がって来ましたね。それぞれの社会の体質や経済のまわり方次第で、不当な格差があらわれてくる発現形態はさまざまということです。
C なるほど……。ただ、なんとはなしに今日本の雰囲気の中で、ある程度の格差は競争力のある社会のためには仕方ないという意識が定着しつつあるような気がします。格差や差別がある社会はまず倫理的に問題だと思いますが、実際に社会の安定度を増やしたり経済発展をしていくための足をひっぱる要素になると思うのですが、どうでしょうか。倫理だから大切なのだというだけでなく、役に立つのだと。
H そう考えることがすでにまずいと思いますよ。経済効果があろうがなかろうが、発展に寄与しようが、しなかろうが、悪いことは悪い。弱いものがいじめられたり落ちこぼれが放置されたりするのはおかしい。そこをしっかりしておくことがまず必要だと思います。少なくとも私はそう思います。「この人を生かしておいても経済成長や発展に何ら貢献しない」というような理由で人間を殺していいわけはない。それと同じことでしょう。インクルーシブネス、すなわち社会的包摂性は根源的に大切だと思います。ここを踏まえた上で、敢えてさらにいえば、実際問題としても、インクルーシブ度が低い経済社会が創造性・柔軟性・多様性、発展性に欠けていくのは間違いないと思います。
C イギリスは難民や移民を受け入れる際、これが社会の強さになるとメリットを訴えてきました。実際、その結果を見ていると説得力も感じます。複雑さを持っている社会のほうが強いのでしょうか。
星はナッシュビル、テネシー州食べるんどこ
H 同じタイプの人間だけで構成されている社会は完全に滅びゆく社会ですね。創造性を失い、結果的に経済的に行き詰まっていくのが嫌ならば、多様性を抱擁することが重要です。ただそこで大切なのは、先ほども言いましたが、メリットがあるからではなく、前提として自分と違うものを排除するということは、人間が人間である以上してはいけないことだという認識です。
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C 食い下がってすみません。でも最近の世論は、明らかな落ちこぼれ切り捨てや、意見の違う人には強制で従わせようという強気な声に賛同する傾向があるように見えます。そういう人たちにも通じやすいように、「でももしあなたが落ちこぼれる側になってしまったときに、それでは辛いですよ」というアプローチで必要性を説明したくなるのですが。
H そういう言い方はしてはいけないと思いますね。自分がいずれ助けてもらいたいから情けは人のためならずというのは、助けないよりはだいぶマシですが、ヨコシマです。
C 人間はヨコシマな、皮をむいていけば、少しでも有利な状況で生き延びたいという利己的な生きものなのではないでしょうか。できるだけ有利に自分を保存したい!という強い衝動。
H そういう側面があることは事実だと思いますが、その面をコントロールして、それだけがすべてではないよなと物事を整理できるから、人間が人間でいられるのです。情けは人のためならず的な理由がないと情けを出せないならば、それは人間ではないということになります。
C ウムム……仰るとおりだとは思うのですが、それだけでは格差はよくないということを伝えきれない自分の未熟さを感じています。
H 向こうが気に入ってくれそうな言葉や事例を使って説得しようというのは、自分の言っていることに確信がないからではないですか?
C ギクッ。いや、確信はあるつもりですが、伝えられる自信がないのだと思います。その人たちと一緒に社会を作らなければならないという、焦りもあります。
H そこで焦るのが敗北主義なんですよ。すぐに焦ったりあきらめたりしてはダメです。自分だけが正しいことを言っているという感じは、むしろ気持よくないですか?四面楚歌であればこそ、力が湧いてくるというものでしょう(笑)。
C さすが浜さん、地獄のファイターですね。見習わせていただきます! 原発の問題も、腑分けしていくとそのあたりに根っこがあるように思います。このままでは日本社会がふたつに割れてしまいそうな不安も持っています。
H ダメなものはダメなので、変に無理した理屈で正当づけようとする必要はないと思いますよ。
C 知の道はなかなか孤独であることがわかってきました。まだまだ修行が足らないようです。引き続きガンバリマス!
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